学問

日本人の自殺が多い理由を考察する

自殺は一定数存在するのは社会学上健全な社会という話を聞きます。
日本では自殺者が年間3万人いるそうです。

さて、その理由を考えてみたいと思います。

もし、一神教圏で、一神教を宗教としてインストールされている人は、
よほどのことがない限りは自殺しません。
それは、神に逆らうことを意味します。神を畏れるが故に、原理主義者ほどしません。
※彼らは、自爆テロは自殺とは認識しません。

ジャン=ポール・サルトルの思想を引用しましょう。
実存主義というものがあります。

宗教を信仰する考え方は、古い考え方である、というわけです。神の存在を根拠にして世界を考えてはならないということです。神よりも、人間を大切にするべきだという主張です。個人の人格の尊厳と、個人の自由とを大切にしましょうということです。人間の人格を第一に考えるべきだという、サルトルの主張です。

―引用―(http://mgenemon.sakura.ne.jp/sartrejitsuzon.html

となるそうです。

実存主義は無神論でもあります。それはそれで一つの宗教と言えるでしょう。
神の存在を否定する宗教と言えますね。

日本人の多くが、一神教ではありません。この実存主義に近いのではないでしょうか?

いやいや、うちは仏教だ。とか、神道だ。という方もいますが、宗教とは人間が作ったものと認識しているのであればそれは宗教として機能しません。心の底から信じ切っていない場合は宗教がインストールされているとはみなされません。よって、無神論の分類に当てはまると考えます。

ちょっと視点を変えます。
小室直樹氏によれば、人間が社会的規範を失い、無規範な行動をとるようになる状態をアノミーと呼び、それは社会的な病気であると言われています。

このアノミーは、連帯を失うことが発動条件となるようです。

現代社会を見渡すと、
天皇制を破壊され、村社会を失い、大家族を失い、歴史や伝統の連続性を絶たれ、会社組織の家族的経営も否定され、人々はコミュニティーを失い「むき出しの個人」となりました。

つまり、連帯を失った状態です。
この状況では、社会的な病気であるアノミーにかかりやすい状態です。
もし、自分がよりどころとするコミュニティーが完全に失われたとき、アノミー化する可能性が非常に高くなります。

コミュニティーを失うということは、組織的な縛りを失い、
より一層自由が増しますが、アノミー化や自殺因子が高くなるように感じます。
もしかすると、この「自由という刑」から逃れようと自殺に至るのかもしれません。

現代の自殺防止キャンペーンはこのあたりの事情を踏まえてやっているようには見えません。
自殺は良くない。誰かに悩みを相談してください。と言っていますが、
物事の本質をつかんでいるようには見えません。

抽象度上げて、このアノミー化を防ぐには、コミュニティーへの所属が必要です。
そして、コミュニティーへの所属には、コミュニティーの存在が必要です。
コミュニティーの存在には、強い目的と意思を持ったリーダーが必要です。

強い目的と意思を持ったリーダーを育成するには、これまでの教育を革命的に一新しなければなりません。
これまでの教育を革命的に一新するには、既得権益を破壊し社会をフラット化するほどの革命が必要です。

その革命には、国民一人一人が民主主義を実行する必要があります。
この民主主義を実行するということは、自らが政治に参加し、この国を自治することです。
その為には、リーダーを支持する中間集団が必要になります。

その中間集団を構築するには、地域の人々が団結する必要があります。
多くの人にそういう考えを持ってもらうことが必須です。

今の日本人にそれができるとは思えません。
今の恵まれた環境が仇になっているような気がしています。
意識革命には多大な犠牲が必要でしょう。多大な犠牲を伴い人口の50%が消失するようなインパクトがあって、初めて本気になるでしょう。

それには、国家レベルの未曽有の危機を演出するか、現政権が暴走し自滅的に危機が生み出されたときかも知れません。

そういうのを漫画的なストーリーにして、エンターテイメントを通して、多くの人の意識改革を進めていくのも一つの方法かもしれません。

Saitoon