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本来、自己責任というキーワードは、政治用語の新自由主義の結果についてアウトプットと対応している?
新自由主義 → 機会の平等を提供 → 結果 & 自己責任(政府は助けないよ。知らんがな。)
自由主義 → 結果(悪ければセーフティーネットで救済するぞ。それが最大多数の最大幸福だからね。)
という話での自己責任であり、他の用法では、単なる「自業自得」という意味合いが強い。
例えば、プロ野球選手団と、素人集団が野球で勝負する。負けたほうが資産没収とする。勝負の機会は提供したのだから、結果については自己責任です。
とすると、新自由主義者は、強者が有利である。弱者は常に自己責任で辛酸をなめることになる。ハンデをつけようとすると、ズルいとか、卑怯だとか、公平ではないという。そして、勝ち目のない戦いへと駆り立て、負けるしかない弱者は、戦う前から負け戦を強いられる。そして、負けても、自己責任だからといって、救済されない。救済しようとすると、税金の無駄であるという論調で、煙に巻く。仮に救済したとしても、その金で一人でもパチンコでもしようものなら、弱者は皆ろくな金の使い方をしない。というところだけにフォーカスして、弱者全体を救済することをやめようとする。
これは、比喩だが、日本国内政治の場合、これがまさにまかり通っている。
強者が強者の為のルールを作っているに過ぎない。
自己責任という都合のよいキーワードを明確に定義することなく、雰囲気で使っている。用法を誤ると、人を貶める使い方や、弱者を追い詰める用語なのかもしれない。
少なくとも、プロフェッショナル同士の戦いでない場合、自己責任というのは、酷な表現であろう。もっと解りやすく例えるならば、「うさぎ」と「ライオン」の戦いのようなものだ。
同じ折にブチ込んで、うさぎとライオンを戦わせる。負けたうさぎに、自己責任だな。というのと大して変わらない。
一旦、抽象度を上げて、その後、具象度を上げ、別の事例として考えてみると、誤った「自己責任」という用法は、残酷なキーワードである。
★というわけで、むやみやたらに「自己責任」というキーワードを使うのはやめましょう。敵に言うのはアリかもしれないけれど。仲間に言うのは、イキナリぶん殴るのと変わりませんね。
Saitoon
◆補足
以下、Wikipediaにあった自己責任の例。
①自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う。・・・この原則は十分な情報と判断能力がない場合には妥当しない。
★というか、結局自分でケツを拭かされます。子供がやった場合は、親が尻拭いですね。
②個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う」という意味がある。個人は他人の行為に対して責任を負うことはなく、自己の行為についてのみ責任を負うという近代法の原則のことである。
★金と権力を使えば、他人に責任を負わせることができます。自己の責任において。
③個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」という意味がある。何らかの理由により人が判断能力を失っていたり、行為を強制されている場合は、本人の選択とは断定できないため、この限りではない。
★個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負わされる。とくに、他人に迷惑をかけた場合は、容赦がない。判断能力や強制力が働いている場合は、権力者の都合による。という感じでしょうね。
④証券取引による損失は、たとえ予期できないものであっても全て投資者が負担する。
★原則そうであるが、大人の事情によっては例外的にそうとは限らない。相手が機関投資家や大人の事情で逆らえない組織の場合は、何とも言えない。のではないかと・・・。