各「個人」を描くには、思考をそれぞれのキャラクター視点に切り替えることが重要だし、「社会」を描くには、政治や宗教、哲学、社会学等それなりの知識は必要になる。テレビドラマを見れば、その分野の専門知識がそれなりに散りばめられていることで相応のリアリティを持っていることに気がつくだろう。
そして、日本人がとても苦手な、「世界」を描くには、世界の三大宗教である「ユダヤ」「キリスト」「イスラム」教と、「仏教」、無宗教という名の拝金教、出世教、恋愛教、等々、知るべき思想が山のようにある。
つまり、話あえば分かり合えるというのは、幻想に過ぎず、宗教という壁がある以上、異なる思想の問題解決は、共存ではなく、排除であることがわかるだろう。
世界では、話し合うより、騙し合い、殺し合い、奪い合う。戦争やテロがその一例である。
ジョジョの奇妙な冒険や、マギ、マトリックス等は、宗教の色を強く取り込んでいることで、その世界観を見事に表現している。
世界の宗教レベルで、思想レベルの考え方が変わるということは、改宗、つまり宗教を変えるくらいのインパクトである。
改宗それは、これまでの同胞を、敵とするくらいのインパクトである。
損得勘定で動くレベルのものではなく、魂のレベルで、180度立場が変わるくらいのものである。
これらのバックボーンを設定した上で、信念に沿って、行動するキャラクターは、深みがあり、味も出る。ドス黒いキャラクターとなるのである。